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東京地方裁判所 平成元年(行ウ)97号 判決 1991年10月28日

原告 佐藤政志

被告 新宿労働基準監督署長

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告が原告に対し、昭和六〇年九月二〇日付けでした労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)による障害補償給付支給処分を取消す。

第二事案の概要

本件は、被告が、原告のした障害補償給付請求に対し、原告の障害の程度を労働者災害補償保険法施行規則(以下、「施行規則」という。)別表第一に定める障害等級(以下、「障害等級」という。)第八級に該当するものと認め、右級に応ずる額の障害補償給付を支給する旨の処分をしたのに対し、原告が自己の受けた障害は障害等級第八級より重い等級に該当するとして、右処分の取消を求めたものである。

一  争いのない事実

1  原告は、昭和五四年一〇月二九日、訴外株式会社奥山建設に雇用され、大工として就労していたところ、昭和五四年一一月二〇日午後四時ころ、建売住宅の工事現場において、二階屋根の野地・下地張付作業中、足を滑らせて約六メートル下の地上に墜落し、顔面、右前腕部、頸部、腰部を負傷した。

2  原告は、右受傷後直ちに駒崎医院において受診し、顔面・右前腕挫傷、頸部側腹部・腰部・右膝部挫傷により加療したが、その後<1>昭和五五年二月二六日、目白接骨院、<2>昭和五五年一一月一六日、鬼子母神保健生活協同組合鬼子母神病院、<3>昭和五六年一月一四日、木村整形外科、<4>昭和五七年三月四日、池袋大久保病院、<5>昭和五七年七月二二日、日本大学板橋病院整形外科に転医し、頸椎捻挫、外傷性頸部症候群、腰椎捻挫等の傷病名にて治療を受けた結果、昭和五八年一月二九日症状軽快により治癒となった。

3  また、その間、昭和五五年三月七日に幻覚・妄想を訴えて医療法人社団欣助会吉祥寺病院(以下、「吉祥寺病院」という。)に緊急入院(同年四月二七日まで入院、以後昭和五八年五月二日まで通院)し、国民健康保険を使用して、前記2の治療に併せ「精神分裂病」の診療を受けている。

4  原告は、右治癒後、障害が残存するとして、昭和五八年五月二七日付けで被告に対して、労災保険法に基づく障害補償給付の請求をした。

5  そこで、被告は、原告の身体状況について調査をしたが、その結果は次のとおりであった。

(一) 原告が、障害補償給付請求の際添付した日本大学板橋病院整形外科医師町田正文の診断書によれば、原告の障害の状態は「頭痛、背部痛の訴えがあるが、叩打痛、運動制限もなく、理学的所見を認めず」とされており、また、同添付の同病院精神神経科医師山口隆の診断書によれば、原告の傷病名は「精神分裂病」であり、障害の状態は「不完全寛解状態」と診断されていた。

(二) 被告が、原告の障害等級について東京労災病院に対し意見を求めたところ、原告を診断した同病院医師松元司から提出された意見書(昭和五八年九月二日受付)によると、主訴及び自覚症は「<1>腰痛、<2>左下肢しびれ、<3>踵部痛、<4>頸部痛、<5>頭痛、<6>背部痛」、検査成績は「NCV・略正常。血液諸検査・略正常」、骨レ線所見は「<1>頸椎・バルソニー結節あり、第五―六頸椎々間板に変性あり。腰椎第一―二、二―三、三―四、四―五に椎間板の高度変性と骨棘形成あり、これは加令変化です。精神科・分裂病と考える。」との意見が付されていた。

(三) 被告は、前記松元医師の意見書の中に「日大・吉祥寺病院、又は日大病院精神科に問い合わせて下さい」との記載があったので、原告が精神分裂病として治療を受けた吉祥寺病院に意見を求めたところ、同病院医師原藤卓郎から提出された意見書(昭和五八年七月二七日付け)によれば、主訴及び自覚症は「入院時幻覚、妄想、不安あり、治療により症状消退し特に自覚症は認めない。」、依頼事項にかかる意見(検査成績等)は「<1>初診時の症状・テレパシーがかかると幻覚・妄想を認め表情硬く服装もだらしなく考え方も疎雑である。<2>治療の期間・昭和五五年三月七日より昭和五五年四月二七日まで入院治療、昭和五五年四月二八日より昭和五八年五月二日まで外来治療をしている。<3>傷病名・精神分裂病。<4>諸検査の結果・心電図外生化学的検査に異常はない。<5>業務と疾病との因果関係は特にない。<6>既往症の有無及び素因・既往症はない、素因は特に認められない。」とのことであった。

(四) さらに、被告は、東京労働基準局医員医師小林真名文に意見を求めたところ、同医師から提出された意見書(昭和五八年九月二七日付け)によると、障害状況業務上外に関する意見は、「本件は頸椎捻挫、腰部挫傷に加え、之に由来する精神障害は業務上と考える。また精神科主治医の意見を参照するに軽快している。従って頑固な神経症状を残すものとし一二の一二、頸椎、腰部の障害一二級と併合し障害等級一一級に該当するものと認められる」というものであった。

6  被告は、以上の資料に基づき検討した結果、原告に残存する障害である頭部・頸部痛及び腰部・背部痛並びに精神障害については、いずれも「局部に頑固な神経症状を残すもの」(障害等級一二級の一二)に該当すると判断し、施行規則一四条四項の規定に基づき併合の方法を用いて準用等級を定め、障害等級第一一級に該当するものと認定し、昭和五八年一〇月二八日付けで同等級相当額の障害補償給付をする旨の処分(以下、「本件第一処分」という。)をした。

7  原告は、本件第一処分を不服として、昭和五八年一一月一八日付けで東京労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたところ、同審査官は、頭痛・頸部痛及び腰痛・背部痛についてはいずれも障害等級第一二級の一二に該当するとしたが、精神障害については第九級の七の二の「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当し、施行規則一四条四項の規定に基づき併合の方法を用いて準用等級を定めると第八級に該当するとして、昭和六〇年七月一五日付けで被告のした第一処分を取り消す旨の決定をし、被告は、この決定に従い、昭和六〇年九月六日付けで、障害等級第八級に変更する旨の処分(以下、「本件第二処分」という。)をし、同年九月二〇日付けで原告に対し、本件第二処分の通知をした。

8  ところが、原告は、本件第二処分をも不服として、昭和六〇年一一月一二日、再度東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、同審査官は、昭和六一年三月三日付けで原告の審査請求を棄却する旨の決定をした。

9  さらに原告は、右決定を不服として、昭和六一年四月九日付けで労働保険審査会に対して再審査請求をしたが、同審査会は、平成元年二月二日付けで原告の再審査請求を棄却する旨の裁決をし、右裁決書は同月四日に原告に送達された。

二  本件の争点

本件の争点は、原告の後遺障害が施行規則別表第一に定める障害等級第八級より重い等級に該当するか否か、特に精神障害が障害等級第九級の七の二より重い級に該当するか否かである。

三  原告の主張

1  原告には、次のような精神障害が存在する。

(一) 頭の中心部にビビビッ、ビビビッと電流が走るような感じが一〇秒から二〇秒間隔で、長い時には一〇分間も続き、これが現れると思考力はもちろん感覚も麻痺したようになり、横になっている他ない。このテレパシーは、日中は比較的少ないが、夕方から夜にかけて多くまた強く現れ、まれには四、五時間現れないことはあっても、一日に一度も現れないということはない。

(二) 前記テレパシーのせいもあって、睡眠薬なしでは眠れない。

(三) 幻視、幻覚もよく出現し、いらいらした状態が常時続き、また、物忘れがひどく、ストーブ、ガス、電灯の消し忘れなども時折生ずる。

2  原告の右精神神経症状は、前記事故による頭部外傷後遺障害としての外傷性精神病によるものであり、前記事故との因果関係は明らかである。

3  後遺障害認定の基準によれば、「独力では一般平均人の四分の一程度の労働能力しか残されていない場合」は障害等級第五級の一の二とされ、「独力では一般平均人の二分の一程度に労働能力が低下している場合」は同第七級の三とされているが、原告の障害をこれに当て嵌めれば、原告は精神的に極めて不安定な状態にあり、著しく人格水準が低下しており、一般平均人の四分の一程度しか労働能力がないことは明らかであり、百歩譲っても一般平均人の二分の一以上存在するとは絶対に認められない。

したがって、原告について残存する精神障害は、障害等級第五級、少なくとも第七級に該当し、同第一二級に該当する頭部痛・頸部痛及び腰痛・背部痛(この点については争わない。)と併合すると原告の障害等級は第四級、少なくとも第六級に該当するので、被告のした原処分は、障害等級の認定を誤ったものであり、違法として取消を免れない。

第三争点に対する判断

原告に頭部痛・頸部痛及び腰痛・背部痛の後遺障害が存在し、それらがいずれも障害等級第一二級に該当することは当事者間に争いがないので、精神障害について判断する。

1  ところで、労災保険法に定める障害補償給付は、「労働者が業務上負傷し、又は疾病にかかり、なおったとき身体に障害が存する場合」において支給されるものである(労働基準法七七条、労災保険法七条一項一号、一二条の八 一項三号)から、原告が障害補償給付を受けることができるためには、原告に精神的障害が存し、かつ、それが本件事故に起因するものでなければならない。

そこで、まず、原告の精神障害の有無及びその原因について検討する。

前述のように、原告は、吉祥寺病院において、昭和五五年三月七日から同年四月二七日までは入院、その後昭和五八年五月二日までは通院して精神分裂病の病名の下で治療を受けていたが、同病院医師前記原藤の昭和五八年七月二七日付け意見書によれば、初診時にはテレパシーがかかるなどの幻覚・妄想が認められたが、治療により症状消退し特に自覚症は認められないとのことであった。

しかしながら、甲第一号証、同第六号証、乙第一号の二証、同第一二号証、証人山口隆及び同佐々木時雄の証言によれば、原告は、昭和五八年四月二六日から平成元年七月六日まで断続的に日本大学板橋病院の精神神経科に通院しており、初診時には不眠・不安・無食欲・物忘れがひどい等の訴えであったが、その後昭和五九年三月頃からテレパシーがあるとの訴えが出るようになり、その後昭和五九年一二月頃、東京労働者災害補償保険審査官から原告の身体障害者等級認定に関する鑑定意見を求められた関東労災病院医師佐々木時雄が原告を診察した際にも、不眠・テレパシー・物忘れ等の自覚症状の訴えがあり、脳研式記銘力検査・ベントン視覚記銘検査・WAIS知能診断検査・ベンダーゲシュタルトテスト・内田クレペリンテスト・ロールシャッハテストの結果によると、精神医学的所見としては抑欝気分、不眠・作業能率低下・記銘力低下等の症状が認められ、同医師の総合意見としては、作業能率の低下・記銘力障害・情緒障害・抑欝傾向・人格の平板化・感受性の低下が認められるとのことであった。そして、右証人山口の証言によれば、同人は前記日本大学板橋病院での初診時以後、平成元年三月頃から四月にかけて原告を診察したが、原告の症状は初診時に比べてそれほど変化していないことが認められ、これらの事実からすると、原告の右症状ないし障害は、原告が本件障害補償給付の請求をした昭和五八年五月二七日時点ですでに存在していたものと認めるのが相当である。

そこで、次に、原告の右障害が本件事故に起因するものであるか否かにつき検討するに、前記各証人の証言によれば、初診時における原告の症状は、程度の比較的軽い幻覚と被害的な関係念慮もしくは妄想を伴う精神病状態を呈しており、その症状の特徴的なことは、コミュニケーション能力が良好であり、年令不相応な健忘症と失見当識が見られるが、これは脳に器質的な病気があることを疑わせること、原告の使うテレパシーという言葉の意味は、精神医学者が使う意味とは少し異なり、頭の中に虫がいて動き回るというような体感幻覚を意味したり、時には幽霊が見えるというような幻視の意味を持っていたが幻聴はなく、精神分裂の場合は幻聴がほとんどであることからしても脳の器質的病変を疑わせること、本件事故による原告の傷害には頭部の傷はなく、顔面擦過傷があったのみであるが、頭部に傷はなくても、顔面を打った場合にも脳に損傷を受ける可能性はあること、原告の右症状は本件事故後四か月後に発症しているが、時間的にも外傷性であると考える方が理に適っていること、右佐々木が原告を診察した際も、原告は自分の症状をきちんと訴え、同人ときちんとした会話ができ、精神分裂病の患者に見られる奇妙な態度や表情とか過度の緊張感というものが全く見られなかったこと等が認められ、これに前記原藤医師の意見によっても遺伝的素因は否定されていることを考えあわせると、原告の右障害は精神分裂病に起因するものではなく、本件事故による頭部外傷後遺症と認めるのが相当であり、これを精神分裂病とする前記医師原藤及び同松元の意見は採用しない。

2  そこで、次に、原告の前記後遺障害が、どの程度の障害等級に該当するかについて検討するに、本件第二処分は、原告の精神障害を障害等級第九級の七の二「神経系統の機能又は精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの」に該当するものと判断したが、原告は、同第五級の一の二「神経系統の機能又は精神に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」、少なくとも同第七級の三「神経系統の機能又は精神に障害を残し、軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当する旨主張する。

ところで、実務上用いられている障害等級の認定基準(乙第一一号証)によれば、障害等級第五級の一の二は「神経系統の機能又は精神の著しい障害のため、終身にわたりきわめて軽易な労務のほか服することができないもの」であり、独力では一般平均人の四分の一程度の労働能力しか残されていない場合がこれに該当するとされ、例として他人のひんぱんな指示がなくては労務の遂行ができない場合、又は、労務遂行の巧緻性や持続力において平均人より著しく劣る場合等がこれに含まれるとされる。また、第七級の三は「中等度の神経系統の機能又は精神の障害のために、精神身体的な労働能力が一般平均人以下に明らかに低下している」場合で、「労働能力が一般平均人以下に明らかに低下している」とは、独力では一般平均人の二分の一程度に労働能力が低下していると認められる場合をいい、労働能力の判定に当たっては、医学的他覚所見を基礎とし、さらに労務遂行の持続力についても十分に配慮して総合的に判断しなければならないとされている。さらに、第九級の七の二は「一般的労働能力は残存しているが、神経系統の機能又は精神の障害のため、社会通念上、その就労可能な職種の範囲が相当な程度に制限されるもの」で、身体的能力は正常であっても、脳損傷にもとづく精神的欠損症状が推定される場合、てんかん発作やめまい発作発現の可能性が、医学的他覚所見により証明できる場合あるいは軽度の四肢の単麻痺が認められる場合など(たとえば、高所作業や自動車運転が危険であると認められる場合)がこれに該当するとされる。そして、右認定基準は、障害等級の認定における障害の程度の公正かつ適正な評価を実現するために定められたものであり、内容的にも特別不都合な点は認められず、これまでも実務上は右基準によって認定がなされてきたことからすると、原告の障害等級の認定の当否につき判断するに際しても右基準を参考にするのが相当である。

以上を前提に原告の障害の等級を検討するに、原告の精神的後遺障害は前記認定のとおりであるが、証人佐々木時雄の証言によれば、WAIS知能検査による知能指数の検査が原告のそれをよく表わすと思われるところ、同検査の正常範囲は八〇以上であるが、原告は総合八八であり、知能的に平均人と比べて著しく低いとはいえないこと、同証人の判断によれば、原告の前記後遺障害を前提としても、大工や鳶職は出来ないと思われるが、人に使われてある程度の仕事は出来ると判断されることが認められ、また、証人山口隆の証言によれば、現在の原告には精神病状態の慢性化による積極性、活動性、自発性、創造性、作業意欲がなくなるという陰性症状がでており、それが不当な処置を受けているという心因加重により増強されていることから、フルタイムでの大工の仕事が出来る可能性は薄いが、大工見習や大工の手伝いは可能であると判断されることが認められる。ところで、労災保険法に定める障害補償給付は、障害による労働能力の喪失に対する損失填補を目的とするものであり、そこにいう労働能力は、一般的な平均的労働能力を意味し、当該労働者が被災当時就労していた職種上の平均的労働能力を意味するものと解すべきではない。そして、原告が従事していた大工という職種は、一般的には、肉体的にも精神的にもかなり高度な能力が要求されるものであって、大工見習いや大工の手伝いしかできなかったとしても、そのことから一般平均人の二分の一程度の労働能力しかないとすることはできず、また、大工見習いや大工の手伝いが軽易な労務であるとも認められない。

そして、右認定の事実にからすると、原告の服することができる労務は、大工関係の仕事であれば、大工見習いあるいは大工の手伝い等、割合単純な労務に限られるであろうが、それ以上に、軽易な労務にしか服することができないとか、平均人の二分の一程度の労働能力しかないとまでは認められず、したがって、原告の後遺障害は障害等級第九級の七の二を超えるものと認めるには足りない。

3  以上のとおりであるから、被告が原告の精神障害につき障害等級第九級の七の二と判定したことに違法はなく、したがって前記当事者に争いのない障害等級第一二級に該当する頭部痛・頸部痛及び腰痛・背部痛と合わせて障害等級第八級に該当するものと認め、右級に応ずる額の障害補償給付を支給する旨の処分をしたことに違法はない。

(裁判官 高田健一)

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